「良いデザインとは?」というお話。

作中でも言っているように、使う人の身になってデザインすることが重要なんだけど、世の中には著名なデザイナーが設計した住宅でも、見てくれは良いが、とても住みにくいというのがあるんですよね。

隣の部屋に行くのに一旦外へでなければならないとか、階段に手すりが付いておらず容易に下の階に落下してしまうとか、図書館なのに採光を重視したものとか(本が光で痛む)。

あの子供達だけではなくて、プロのデザイナーでさえこんなものを作ってしまうので、デザイナーの主張というのは、罪作りなものです。


さて、今回パティが抜け駆けして、その後強い罪悪感に苛まれるのですが、日本的なみんな横一線にならなければならないという農耕民族的な価値観は、外国の狩猟・放牧民族的なところではどうなんだろう?

そういう国では、常に情報を得ないと自分がやられるというところだそうで、そういうところだと出し抜くというのは一つの手段になってくるのだろう。

パームタウン編はそういう国でも放送されているけど、この回を見たその国の人は、なぜパティが強い罪悪感に苛まれたのか理解できないかもしれない。

もっとも、そういう国の価値観でも、出し抜かれたら以降その友達グループにはいられないと思うので、ひょっとしたら理解できているのかもしれないが。

 

良いか悪いかという問題ではなく、文化の違いの問題なので、この辺が気になったところ。


パティが人参が大好きという設定は、現実の子供は人参が苦手な子供が多く、パティが好きな人参をあなたも食べましょうね、というメッセージが込められていると思う。

しかしパティが見た悪夢では、その人参が怪物化してパティを襲っているので、人参が苦手な子供がかえって増えそうで、心配しています。